この数日で、NYも夏の終わりを感じさせる涼しい風が吹いてきました。7月なんかは9時でも全然明るいのですが、近頃はだんだん日も短くなり、「嗚呼、また夏っぽい事何もせず、今年の夏も過ぎ去って行くのだな」と切なくなります。
と、まー感傷に浸ってる間もなく、世の中はどんどん凄いスピードで流れていく。その中で一個人の価値観も同じ様にどんどん変わっていくんだろうな、と考えてしまう...。と言う事で、私自身の価値観もちょこっと変わりました。と言うお話。

先日、ニューヨークとロンドンにオフィスを構えるイメージライセンシングエージェンシーと、私のアーカイブライセンスのグローバル契約と結びました。"ストックフォトのハイエンドプロフェッショナル専用システム"と言えば分かりやすいかもしれません。
もっと簡単に言えば、自分の過去のアーカイブのRe Saleです。ですが、ちゃんとフォトグラファーの名前はクレジットされ、コピーライトは守られる。現在欧米にはこういったエージェンシーが複数あり、多くのフォトグラファーが契約を交わしています。

今回、私が契約するまで、3つのエージェンシーから誘いが来ましたが断っていました。アメリカ生活が長い私は、ラブ&ピースでフリーダム! な能天気でアメリカかぶれと思われがちですが、どちらかと言うとそういうのは苦手で、実は日本的で古風な考えが好き。そして頭が固い方だと自覚します。
そんな私ですから、正直ストックフォト等の新しい写真の窓口やシステムに否定的でありました。っか、いくつかの嫌な思いをする事があり"自らの写真の権利を自らが守らなければ、自らの写真は無制限に垂れ流しされ、それを誰も守ってくれない。"と言う事に思い至る事になりました。

デジタルになり、写真は全てデータ化され、複数の人間が本データを所有する時代になり、フォトグラファー自身が自分の手元を離れたデータを、いつまでも追跡する事は不可能に近くなりました。国を跨いで仕事する場合は尚更。そのため再使用、流用される事に気づかない場合も出てきます。

デジタルになっても写真一枚の価値は変わらないはずですが、実際フィルムとデータの扱い方は天と地ほどの差ができたと言ってもいいでしょう。なぜならばデータには"返却"という概念がない。いくらでも複製出来るデータですから、当たり前と言えば当たり前ですね。写真がデータ化されフォトグラファーやレップの仕事の量、種類も増えました。そこでこういったシステムが一般化されるのは当然と言えば当然。今と未来の写真に関わるレップエージェンシーが"矛"とするなら過去の写真に関わるライセンシングエージェンシーは"盾"です。私の大好きな日本のテレビ番組は"ほこたて"です。このようなシステムは、今のデジタル社会に著作権やフォトグラファーを守る時代にあった副産物だと考えます。


こんな事がありました。

ある日、見知らぬアドレスからメールが届き、ロシアのデザイン事務所だという。そのデザイン事務所が、今ロシアで建設中の巨大モールのダイレクションを担当してるらしい。そしてその「モールのスポーツ衣料の巨大エリアの内壁全て、私の写真を使いたい」と言うメールが、既に私の写真でデザインされたイメージ図とともに送られてきた。
超巨大! 超光栄! と誰もいない一人のオフィスでジャンプしてガッツポーズしたのをまるで昨日の事のように鮮明に憶えています。
っで、(喜んで!スパシーバ!)"ロシア語でありがとう"とすぐさま返信し、そのまた返事を読むと(じゃあ、でっかいデータでこれだけの写真全ておくってよ! スパシーバ!)と来たので、(ちょっと待って。送る前に因にバジェットはいくら? スパシーバ!)と返したら(バジェットは無いの!無料で頂戴! スパシーバ!)ときた。その瞬間、私のテンションは世界の天井エベレストから世界最深マリアナ海溝の底までガタ落ちし(また来世で。スパシーバ。)と返して後は無視した。ちなみにまだその送られて来たイメージ画は、今現在も彼らのWebにポートフォリオとしてアップされている。。。

無許可で2年連続写真が使われるなんてのも、たまにあります。アメリカでは権利がしっかりしているのであまりそんな事はないですが、他の多くの国では日常茶飯事です。

個人的な意見ですが、私の写真を個人で所有し個人でデスクトップやブログ等に使う分には、まーったくなにも思いません。むしろありがとうございます。といった気持ちです。しかしそれが商業使用になれば話は別である。そこはプロとプロの話。なので曖昧にしては、お互いが傷つくだけだと思っている。

写真という物は価値の理解する人には理解していただけるのですが、価値を理解しない人にはただの印刷された紙でしかないのです。それは私も承知しています。ただ、それならば価値を理解してくれる人に写真を託したい。
このような事を何度か経験し「ほっといてはこれからもっと酷くなったり多くなるだろうな」と思い、考えを変えて契約を結ぶに至りました。ま、そんな、再使用や流用、または新たに別の企画で写真を使いたいと言う際の窓口になるエージェントです。

始めてみると、今まで私が関わった事のない国々からリクエストやコンタクトがくる。中々おもしろい物だ。現在の出版業界不景気のせいで、撮影行なうよりも"すでにある写真を購入する"方が圧倒的に予算がかからない。今まで気にもかけていなかったが、雑誌の表紙にも再利用された写真を使われているのを発見したりと、少々悲しく感じながらも嗚呼、時代だな、と感じる。

個人的な気持ちとしては「新しい写真を撮ろうよ!」と思うのですが、現在の出版業界の現実がそうはさせない。しかしこのシステムは日本には難しいのかもしれない。ニューヨークのように、世界のハブ都市でないと成立しないシステムなんだろうと感じます。一国内だけでこのシステムはビジネスにならない事と、国内の他の雑誌で使われた写真を同じ国内の他の雑誌に使う事はあり得ないからです。ただ、もしも日本がアジア全土でこのシステムネットワーク構築し、アジアでの主導権を取れるならばチャンスはあるかもしれませんね。未だ日本ファッションはアジアでは武器です。それに日中韓のセレブリティーの写真権利を上手く扱えるならば、従来のストックフォトとは違う大きなマーケットになるように思います。

今まで写真を撮り続け、一度だけしか使われてない写真達が私のオフィスのHDに腐る程眠っている。なんだか少しだけ、そんな眠っている写真が可哀想になったのもある。もしも、そんな写真達がもう一度どこかの国の何かのメディアで誰かの目に写るのは、正直撮った本人には喜びでもあります。
だからfacebookページ(http://www.facebook.com/MunetakaTokuyamaPhotographer)でも、一日一枚写真をアップするのを始めた。そんな価値観がこの契約によって芽生えたのは自分自身奇妙に思いますが、自分の写真にとってはとても良い事だと思った。

写真はやっぱり人に見られてナンボ。誰にも見られず撮った自分さえも気づいてやれない事はあまりにも残酷です。これを読んでいただいている方で写真を撮る方々は、一度時間を作って自分が大昔撮った写真、一度使ってそのままの写真、セレクトしなかった写真等を見直してみて下さい。不思議ですが、「あ、これ良い写真」と、撮ったその時は気づかなかった写真に出会うでしょう。自分自身の写真の見方が変わっていたり、写真とは熟成されていくと言う事に気づいたり...。そしてそれって自分自身の価値観が変わったから、同じ写真でも新しい発見をするのだな。と私自身も最近実感した事でもあります。

今回の内容とは関係ないですが、ある日本のフォトグラファーさんがこのコラムで書いた記事(http://old.shooting-mag.jp/column/munetakatokuyama/vol2.html)を読んで下さり、実際に英国の雑誌に挑戦し掲載が決まったとわざわざご報告いただきました。
自分の事の様にうれしい。やれば出来る。出来ないのはやらないからだ。おめでとうございます! ほんのちょっとだけこのコラムやっててよかったと思いました。

へば。


ビーチでいかつい兄ちゃん二人が可愛くじゃれ合ってました。可愛かったが暑苦しかったです。


ファイナルファンタジー7をガキの頃プレイしてから鉄塔、電波塔マニアです。


いかつい兄ちゃんにまぎれて凄腕のスケーター女子がいました。