今回から福川芳郎がこのコラムを担当する。私は、約20年間以上にわたり、写真専門のギャラリーを運営し、国内外の写真家のオリジナル・プリントを売買してきた。ここでは、アート写真市場の現場の最新情報とともに、そこで評価されている写真家の仕事を紹介していきたい。

日本で写真作品が売れないのは、いまや業界内の常識になっている。しかしその中で、一般客のミュージック系写真への関心は高い。この分野の写真展の観客動員数は多く、作品も比較的良く売れている。今春にデヴィッド・ボウイの回顧展"DAVID BOWIE is"の世界巡回展が東京で開催され、3か月の期間中に約12万人が訪れたという。

同時期に、有名写真家によるボウイの写真作品を販売する"Bowie: Faces"展が代官山 蔦屋書店などで開催された。9月中旬にアクシス・ギャラリーで開催された"フォトマルシェ4"では、ミュージック系の写真がメイン展示だった。ともに多くのミュージック系写真のファンが訪れ、作品コレクションへの関心も高かったという。


AXISで開催された「Bowie:Faces」展。

このミュージック系写真の人気は、90年代前半ぐらいまで音楽が時代の気分や雰囲気作りの一翼を担っていたことが影響している。ミュージック系の優れた写真は、アート系のファッション写真の一部だと解釈できる。その時代を生きた人は、自分が愛聴していたミュージシャンの写真から過去の記憶が蘇るのだ。当時はいまのような音楽ソフトの配信ではなく、ビニール性の大判サイズのLPレコードを購入してレコード・プレーヤーで再生し、音楽を楽しんでいた。それぞれの人が持つミュージシャンの思い出は、いま以上にLPレコード掲載のヴィジュアルとともに強く残っている。

見る側が被写体にある程度の高いリテラシー(理解力)を持っていなければ、写真作品に価値を見いだせないだろう。日本には、ミュージシャンに対する豊富な知識、経験、情報を持つ人が多い。彼らが時代の気分や雰囲気が反映されたヴィジュアルを積極的に評価しているのだ。



©️ Masayoshi Sukita David-Bowie-at-Ziggy-Stardust,-London,-1972

しかし、それは単にブロマイド的な有名ミュージシャンが写った写真が売れるのとは意味が違う。やや分かり難いので、ファッション写真に置き換えて詳しく説明しよう。アート市場では、リチャード・アヴェドンやアービング・ペンなどによる高額で取引されるファッション写真がある。一方で、アート作品にはならない、単に服の情報を提供しているだけの写真も数多く存在する。

ミュージック系でも、スナップ、ライブ、広報用などの写真はミュージシャンの情報を提供しているだけだ。これらのヴィジュアルにはドキュメント性はあるが写真家の創造性が反映されていない。アート作品になり得るには、写真家とミュージシャンとの深い関係性が必要不可欠となる。才能を認めあった両者によるコラボレーション作品的な要素が強いのだ。それらは、LPジャケット用のセッションや、互いの心が通い合ったプライベートでの撮影の中から生まれることが多い。



©️ Masayoshi Sukita David-Bowie-Just-for-one-day

 アート作品になるコラボレーション作品の意味をもう少し考えてみよう。まずミュージシャンのヴィジュアルへの高い問題意識が求められる。まわりのスタッフに任せるのではなく、写真家とともに今までに見たことのないような斬新な自分のヴィジュアルを制作するという意志が必要になる。

デヴィッド・ボウイは、その多様な音楽性とともに、ヴィジュアルによる自身ブランドへの影響力を強く意識した人物だった。いったん有名になると、変化を恐れ過去のイメージに固執しがちになる。しかし、彼はその時代の才能ある写真家を積極的に起用して新しいヴィジュアルを作り続けた。



©️ Masayoshi Sukita David-Bowie-ki

写真家の側にも実績と能力がなければ、ミュージシャンとイコールの関係にはならない。70年代から80年前半にかけて、デヴィッド・ボウイと、ブライアン・ダフィー、テリー・オニール、鋤田正義などの写真家との間で、このような奇跡的な関係性が構築された。そこからアート作品となり得るミュージック系写真が生まれたのだ。まだロックが今のような巨大ビジネスになる前で、ミュージシャン、写真家、ファンの距離が今よりもはるかに近かったという状況も影響しているだろう。

ボウイの撮影を開始した時、すでに鋤田はTーRexのマーク・ボランなどのミュージシャンのポートレートで実績があった。彼は英語が得意でないという。その中でボウイと高いレベルのコミュニケーションがとれたのは、彼の生まれ持った、多くの人の心を引きつけ、自分のことを好きにさせてしまうキャラクターによるところが大きいと思う。

それはただ愛想よくニコニコしているのとは違う。もし笑顔の背景に緊張があればそれは相手に伝わってしまう。相手が誰であっても普通に自然体で接することが重要なのだ。被写体の気持ちを緩くしなければ、その本質は引き出せない。鋤田の人間的魅力がボウイの心を掴み、信頼感が育まれ、1972年から約40年間も二人の関係は続くことになる。その数多くの撮影セッションの中から1977年の名作"Heroes"LPレコードのジャケット写真が生まれたのだ。



©️ Masayoshi Sukita Marc-Bolan,-T-Rex,-Teenage-Dream,-London-1972

鋤田の作品では、ミュージック系ポートレートや広告写真が注目されがちだ。しかし、それは彼の膨大な作品の一部にしか過ぎない。キャリアを通して、ストリート・シーン、風景、静物など様々なタイプのパーソナル作品を制作している。日本では、外国の専門家が評価した日本の土着的なテイストの写真がアート系だと評価されがちだ。広告分野で活躍した人や、西洋的なテイストを持つ写真家はあまりアーティストとして注目されない。鋤田は日本で数少ないアート系ミュージック写真で世界的に評価された写真家だ。そこを入り口にして、長い写真家キャリアの総合的な見直しと、作品のアート性の再評価が待たれるところだ。

鋤田正義
1938年福岡県生まれ。1970年からフリーとして活躍。特にデヴィッド・ボウイと深い親交があり、彼を約40年以上にわたり撮り続けた。70年代のはじめ、鋤田は気鋭の若者文化や音楽に惹かれニューヨークやロンドンに撮影に出かける。1972年の夏にT・レックスのマーク・ボランやボウイを撮影。1977年にはボウイのアルバム"ヒーローズ"のカバーを撮影、同作を鋤田は自身のベスト作品だと考えている。
それ以降も、ドキュメンタリーからファッション、広告、映画、音楽の分野まで幅広く活動。"氣 デヴィッド・ボウイ"、"David Bowie × Masayoshi Sukita Speed of Life"、"T.Rex 1972"、"YELLOW MAGIC ORCHESTRA × SUKITA"、"SOUL 忌野清志郎"他、多数の写真集を発表している。
鋤田のボウイのイメージは、ヴィクトリア&アルバート美術館の訪問者数記録を塗り替えた"DAVID BOWIE is"展でも特集された。近年は、ロンドン、パリ、ボローニャ、メルボルン、ニューヨークなどで相次いで写真展を開催。2017年にはボウイ"ヒーローズ"のLPリリース40周年を記念してベルリン等で写真展が開催されている。