- BLITZ GALLERY
福川芳郎
- 2017.12.15
コマーシャル関連に携わる写真家の仕事は依頼主の希望に沿った写真の撮影だ。写真家に与えられる自由裁量はあまり大きくない。キャリアを積み重ねる過程で、一度は写真で自由に自己表現するアーティストに憧れるだろう。
ほとんどの人は、個展開催や、写真集出版が、すぐにアート界での評価や、写真作品の販売につながると考えるようだ。しかし、作家活動の現実は甘くはない。アーティストとして認められるには、地道なブランディング活動の継続が求められる。また、作品制作には、多大な資金と時間の投入が必要になる。高いモーティベーションを維持しつつ、作家活動を継続するのは非常に困難なのだ。実際のところ、短期的に結果が得られなくて辞めてしまう人が非常に多い。
私は1990年代からアート写真を販売するギャラリーを運営し、数多くの写真家の作品発表に関わってきた。しかし当時から作家活動を続けている日本人写真家はトミオ・セイケ(1943-)だけだ。セイケの作品は、キャリア前半はストリートのスナップ、ポートレート、後半はシティースケープ、ランドスケープが中心となる。今回は彼のキャリア前半の作品紹介を通して、作家活動の継続とアーティストのブランディングについて考えてみよう。
©️ Tomio Seike "Portrait Of Zoe, London, 1983"
セイケの代表作は、1982年から1987年にかけて取り組んだ「Portrait of Zoe(ポートレート・オブ・ゾイ)」。アメリカ人女性ゾイの20歳から25歳までのポートレートを、東京、ロンドン、パリ、ニューヨークで撮影。彼女が大人の女性に成長する過程を表現したシリーズだ。一人の被写体を継続して同じスタンスで撮影するのは容易ではない。二人の距離が一定に保たれないと、時間経過による相手の変化が表現できないのだ。
一方で関係が親密になりすぎると写真家の自己満足の写真に陥ってしまう。ゾイはとても強い個性を持ち、自分の考えを主張する女性だったという。結果的にセイケのカメラは彼女の姿を約5年にわたり極めて客観的に捉えることができた。撮影場所、ヘア・メイク、コスチュームはすべて二人により共同でプロデュースされている。そのアプローチはファッション写真のエディトリアル・ページ制作に近い。同作は80年代社会の気分や雰囲気が色濃く反映された作品に仕上がっている。
また全作品がライカM4で撮影されており、暗い室内ではノクチルクス50mmf1.0が使用されている。ライカ100周年を記念して出版された写真集「Eyes Wide Open!: 100 Years of Leica Photography」(2015年刊)にも同作が収録されている。いまでは「Portrait of Zoe」は、ライカで撮影された傑作として世界中のファンから支持を得ている。
「Portrait of Zoe」は、21世紀になって新たな視点から再評価されるようになった。20世紀に女性を撮影した作品のなかには、被写体が男性視線を意識したものが散見される。しかし、同作のゾイの表情からは一貫して凛としたような強い意志が感じられる。
©️ Tomio Seike "Portrait Of Zoe, England, 1984"
今では女性が社会で自立して目標をもって生きるのは当たり前になった。セイケは80年代にいち早く、自立した女性像を作品で提示したと認識されるようになったのだ。作家活動を継続するなかで、時代の価値観が変化して初期作品の新たな魅力が見いだされたのだ。
ブリッツでは、昨年から今年にかけてセイケの初期二作品を展示した。時期的にはちょうど「Portrait of Zoe」に取り組む寸前の1981年から1982年の作品となる。
昨年のリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」と、今年のロンドンでカナダ人ストリート・パフォーマーを撮影した「Julie - Street Performer(ジュリー・ストリート・パフォーマー)」は対になった作品といえるだろう。英国では、その人が育ってきた家系や地域が重要視される。「将来を自分の力だけでは簡単には変えられない」という認識が社会にある。リヴァプールの若者たちの表情には明るさや笑顔が見られる。しかしその根底には、現状は変わらないから、今を楽しく生きよう、という諦観があるのだ。
©️ Tomio Seike "Liverpool, 1981"
それに対して、アメリカンドリームを信じる北米の人は「未来は自分の努力で変えられる」と考える。カナダ人ストリート・パフォーマーのジュリーは、明るい未来を信じて生きているのだ。彼女の笑顔からは、自分が人生を切り開くという覚悟からくる緊張感が伝わってくる。
当時のセイケは、階層社会が残り閉塞感が漂う英国よりも、北米のポジティブな考えに魅力を感じたのではないだろうか。「Portrait of Zoe」のモデルは米国人の女性だ。英国在住のセイケが米国人を被写体に選んだのは、この辺の心理が影響しているのかもしれない。
©️ Tomio Seike "Julie, London, 1982"
ちょうど撮影された80年代前半はポスト工業社会、いわゆるニューエコノミーが北米と英国で始まった時期にあたる。リヴァプールの若者グループに象徴される英国の労働者階級は、その後にニューエコノミーとともに進行した経済グローバル化による工場移転、移民増加、緊縮財政などに直面する。生活環境の厳しい変化により苦しい生活を強いられる。それが2016年になり、グローバル化の欧州版であるEUからの英国離脱決定(ブレグジット)へとつながっていく。グローバル化によって置き去りにされた、リヴァプールの若者たちのような先進国の労働者階級が、ついにエリート層に対して反旗を翻したのだ。
©️ Tomio Seike "Julie, London, 1982"
セイケの初期作品は、写真撮影と発表時期が作品評価に大きく影響を与える事実を示してくれる。現在に35年前の作品を公開することで、当時と21世紀社会との関係性が見事に提示されているのだ。
「Portrait of Zoe」は内在する新たなテーマ性が2000年代に発見され、35年前の初期二作品もいまになって評価されている。時代経過による価値基準の変化は、過去に撮影された作品の再評価につながる場合があるのだ。そして、新たに作品のテーマ性が見立てられるのは、セイケがいまでも現役で活躍しているからに他ならない。作家活動の継続が、多重的に作用してアーティストのブランド構築につながる事実を明確に示している。
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トミオ・セイケ(Tomio Seike)
トミオ・セイケは1943年東京生まれ。会社員を3年経験後、1970年に日本写真学園を卒業。アシスタントを経験後、1975年からフリーランス写真家、その後イギリスに渡り1987年以降は東京とブライトンに居を構えている。現在は、英国を中心に写真展、写真集を通しての作家活動を行っている。
1982~1987年に取り組んだ「Portrait of Zoe」シリーズで作家として注目される。ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーでの初公開以降、ハミルトンズ(ロンドン)、ウェストン・ギャラリー(カーメル)、ツァイト・フォトサロン(日本橋)、コウジ・オグラ・ギャラリー(名古屋)、ギャラリーf5.6(ミュンヘン)など世界中で個展が開催されている。
その後、「Paris」1992年、「Waterscapes」 2003年、「Glynde Forge」2006年、を相次いで発表し作家の地位を確立させる。欧米写真の伝統を踏まえた上に日本文化のエッセンスも感じさせる優れた作家性、卓越した撮影テクニック、自らがプリントする高い完成度の銀塩写真で世界中のコレクターを魅了し続けている。2011年秋にはデジタル作品による「Overlook」をハミルトンズ(ロンドン)で開催し、写真の新しい可能性にも挑戦している。
作品は、ヒューストン美術館、サンタバーバラ美術館、ヨーロッパ写真美術館、テート・ブリテン、フランス国立図書館、ラザール・ナショナルバンク、エルトン・ジョン・コレクション、エルメス財団パーマネントコレクション等に収蔵されている。
福川芳郎 - BLITZ GALLERY
ブリッツ・インターナショナル代表。金融機関勤務を経て1991年にアート写真専門のブリッツ・ギャラリーをオープン。写真展やイベントの企画運営、ワークショップやセミナーの開催など、アート写真に関する多様な業務を行っている。1999年にアート写真総合情報サイト『Art Photo Site』を開設。写真市場の動向や写真集の情報を提供している。共著に『グラビア美少女の時代』(集英社新書ヴィジュアル版、2013年刊)、編著に『写真に何ができるか』(窓社、2014年刊)。著書にアート写真集ベストセレクション101(玄光社、2014年刊)がある。