たぶん写真家なら誰でもお世話になっている写真プレゼン関連用品を取り扱うコスモス・インターナショナル。新山清(1911-1969)は、同社の社長である新山洋一のお父様だった写真家だ。

アマチュアとして長年にわたり作家活動を行うが、残念ながら不慮の事故で1969年に亡くなっている。現役時代には、作品を国際的な展覧会や写真雑誌に数多く発表。ドイツの写真家オットー・シュタイナート(1915-1978)は、彼の作品をサブジェクティブ・フォトグラフィ(主観主義写真)だと認め評価している。

サブジェクティブ・フォトグラフィーとは、20世紀中盤に世界的に起きた写真表現の動き。シュタイナートはその提唱者だ。自立した個人が世界の事象に対する自分の解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現するスタイルのこと。

日本では"主観主義"と訳され、1956年にはアマチュアとプロの写真家が「日本主観主義写真連盟」を結成。当時流行のリアリズム写真に対抗する活動だったという。しかし日本社会では、独立した個人という感覚が希薄なため、抽象写真のような撮影方法やテクニックの一種だと理解されてしまった。残念ながら一時期の流行りにとどまり、次第に忘れ去られていった。

サブジェクティブ・フォトグラフィーの意味は、なかなか難解だ。ここで新山の写真を例にもう少し具体的に説明してみよう。彼の一連の写真を見ると自分の周りの様々なシーンを綿密かつ強度を持って観察しているのがわかる。自分の前に広がる世界のあり様を執拗に探求しサンプリングしているのだ。

ここからは私の憶測だが、新山は長年の観察の結果、キャリアのどこかで、自分が見て感じる世界に存在する一種の法則性に気付いたのではないか。新山の内面にはその法則に従った独自の宇宙が形作られ、それに従って世の中を写真表現で解釈してきたのだ。私がそれに気づいたのは、ブリッツで2016年に行った新山清写真展の作品セレクションを行っている時だった。


ブリッツ展示風景 1&2

撮影対象は多様だが、特別のものはあまりない。身の回りに広がる、ストリート・シーン、シティースケープ、ランドスケープ、自然植物、静物などが中心だ。しかし、不思議なことに全く違うモチーフの作品を並列に展示しても違和感がないのだ。

一連の作品の中にはグラフィカルに美しいシーンを撮影した写真もあるが、乱れや汚れの中に存在する調和を表現した作品も散見される。私はそれらに共通する「ゆらぎ」のような存在を感じながら、作品を並列に展示した。それは日本で一般的な、デザイン感覚や感性のみを重視して撮影された作品とはかなり違う。パーソナルな宇宙観で世界を解釈するという、サブジェクティブ・フォトグラフィーの意味を的確に踏襲している作品群だと理解できるのだ。

サブジェクティブ・フォトグラフィーは、写真家がどれだけ心を開いて世界と対峙しているか、また見る行為の強度を重要視する。それは暗室でのプリント作業、イメージの最適なトリミングなど、撮影した写真をどのように自分の世界観に近い最終形に仕上げるかが含まれる。

新山の代表作にフカヒレを撮影した"Untitled(Fins),1950s-60s"がある。2010年に刊行された写真集「新山清の世界vol.2」に収録されている。実は本作はかなり手が加えられている。


"ひれor Untiled(Fins),1956" ©Kiyoshi Niiyama

オリジナルはソルントンフレックスで撮影された6X6cm判のスクエアのフォーマットの写真だ。まずイメージが横長にトリミングされ、さらに天地を逆にして作品として提示されている。オリジナルのスクエアの写真はグラフィカル的にきれいにまとまっている。

しかし、それは漁村で撮影したドキュメント的な印象が強くなる。一方で、下部分がトリミングされて写真は、そのままでは余白スペースに違和感がある。天地を逆転した方が全体のバランスが格段に良くなるのだ。写真がまだアートと認識されていなかった約50年以上前に、ドキュメント写真では絶対にあり得ない大胆なトリミングと天地逆転を実践していたのだ。彼の写真で世界を表現する行為への強いこだわりが伝わってくる。

日本では一時期の流行で終わったサブジェクティブ・フォトグラフィー。しかし新山はキャリアを通してこのスタイルを基本に作品制作を継続している。私は、彼がアマチュアリズムを追求してきたから可能だったと考えている。


"川崎埋立地 電線, 1962" ©Kiyoshi Niiyama

当時のアマチュア写真家の意味合いは現在とかなり違っていた。写真で誰かとつながるとか、他人からの承認などを求めなかったのだ。彼はアマチュアだったがゆえに、写真界の評価を気にすることもなく、自らの主観的な撮影スタイルを追求できたのだろう。

さて新山のこの撮影アプローチは意識的だったのか? もちろん、シュタイナートは意識的だと理解して彼を評価した。しかし、彼はもともと持っていた理系的な素養から、無意識的に自然観測を行い、世界のサンプリングと撮影を行っていたのではないだろうか。

私は、シュタイナートは新山作品に潜む"テーマ性"と"制作意図"の見立てを行ったのだと理解している。日本写真では、長年にわたり作品制作を継続する写真家のアート性が、第3者によって見立てられる場合が多くある。それはアマチュア精神を持つ写真家に多く見られる。新山はその典型例だといえるだろう。しかし、彼はキャリア途中で亡くなったことから、日本では存命時に見立てられる機会がなかったのだ。


"朝顔, 1962" ©Kiyoshi Niiyama

ドイツ・ベルリンのキッケン・ギャラリーは、2013年と2014年に"サブジェクティブ・フォトグラフィー(subjektive fotografie)"、"サブジェクティブ・フォトグラフィー2(subjektive fotografie2)"という2回のグループ展を開催。これはサブジェクティブ・フォトグラフィーを、いまアート界を席巻するデジタル技術を駆使したドイツ現代写真の原点だと再解釈する試みだと思われる。

この2回の展示には、新山の作品も展示されるとともに、カタログにも紹介されている。海外の新たな流れが、日本におけるサブジェクティブ・フォトグラフィーの正しい理解のきっかけになるのを期待したい。そうなれば、日本の写真史での新山の再評価につながるのではないだろうか。


キッケン・ギャラリーで開催された展覧会のカタログ2点の画像

◎新山 清 (1911-1969)
1911年愛媛県生まれ。
東京電気専門学校卒業。
1935年に理化学研究所に入社。
パーレットカメラの同人会のメンバーとして写真家活動を開始。
作品を多くの海外展覧会や国際的写真雑誌に発表。
ロンドン・パリ・サロンで数点が入選、
雑誌アメリカン・ポピュラーフォトグラフィー、フォトモンドのコンテストに入選。
その後、全日本写真連盟や東京写真研究会での活動を通して日本のアマチュア写真家育成に携わる。
1957年に旭光学に入社し、東京サービスセンター所長となる。
1969年5月13日、精神障害者の兇刀に倒れ急逝。