イギリスで一番過ごしやすい初夏がやってきました。
大変残念ですが、この暖かい季節に3年ほどに渡ってお世話になったこのブログを最終回を迎えることになりました。最終回はカメラマンになり損ねた私の失敗談(と同時に成功談)"Life after the photography"をお話ししたいと思います。

写真を辞める
私は24歳で渡英し、カメラマンアシスタントをしながら自分の撮影の仕事を始めました。

10年近くに渡りポートレートやアートプロジェクトをやっていましたが、徐々にカメラマンとして暮らしていくことに限界を感じるようになりました。それは経済的、体力といった理由だけでなく、一人での作業が辛くなってきたことも大きな理由でした。

自分にはどんな生き方があるのか?写真しか経験してこなかった自分という人間の価値を少しづつ考え始めました。


(カメラマンアシスタントとして ©Muir Vidler)

プロダクションの仕事
日系のプロダクション会社のロンドン支部が初めての"オフィス"のお仕事になりました。日本語の仕事のメールの書き方もわからなかったので、最初の数ヶ月は全てのメールを上司に確認をしてもらってから送っているような有様でした。

じっと座っていることがとても辛くて、知らない間に足を机や椅子に乗せていることがしょっちゅうありました。大変恥ずかしいことですが、単純にじっと座っていることができなかったのです!

それを見かねた上司はカフェで働いてきていいよと言ってくれたり、撮影中には動き回ったりするなど、なんとか乗り切ることができました。そんな状況でも頑張れたのはプロダクションの仕事にやりがいを感じたからでした。

プロダクションは何でも屋さんです。撮影に関わる全てのことをカバーします。『とにかく撮影を成功させる』という目標に向かって進むというのはカメラマンでも同じことだったので、基本的なスタンスが変わらなかったのかもしれません。

現在はアメリカ・ヨーロッパに支部を持つプロダクション会社で働いています。ニューヨーク、ロサンゼルス、バルセロナ、ロンドンにオフィスがあり、世界中に同僚がいます。パリやイタリア、アフリカなどの撮影もヨーロッパオフィスで対応します。

クライアントや撮影対象が世界規模になり、ストレスやプレッシャーに慣れるのに少し時間がかかりましたが自分の関わった撮影がビルボードやバスの車体広告になっていたり、インターネットで流れてきたりすると大変な気持ちも吹き飛びます!

プロダクションという分野では経験の浅い自分がやりがいのある面白い撮影に関われることができてとてもラッキーだと思います。


(自分の関わった撮影の広告の前で)

こうしてなんとかプロダクション会社に自分の居場所を見つけましたが、写真を諦めるという見切りをつけることは簡単ではありませんでした。寝ても覚めても写真、ボーイフレンドもカメラマン、ご飯中も風呂も朝から夜までずっと写真という生活を10年以上続けてきて、もう写真を撮らないということを理解するのは時間を要しました。

自分がカメラマン人生を全うできなかったことは人間として失敗というくらい思い詰めることもありました。

『1つの仕事を10年継続すること。フリーランスで、しかも海外にも移住して同じ仕事を続けられたというのはキャリアとしては大成功!』イギリスは仕事だけでなく仕事の分野も変える人も多いのでキャリアチェンジというのは珍しいものではありません。

『写真の仕事の経験がなければ今の職に就くことはできなかったはず。世界規模の撮影に関わるようになってステップアップではないのか?』これは写真だけしかしてこなかった自分にとって大変衝撃的な意見でした。


カメラマンになれる確率、そしてカメラマンとして成功し続けられる確率

日本で、サッカー人口に対してプロサッカー選手になれる確率は0.2%だそうです。サッカー選手のサクセスストーリーの特集はテレビで見るけれど夢を諦めた99.8%の人の話は聞くことはありません。

そしてサッカー選手になれた0.2%も現役で活躍できるのは本当に短い期間で、それはカメラマンも同じことです。

私がカメラマン人生を続けられなくてもいま苦い思いをせずに済んでいるのは、好きなだけ思い切り写真という生活を駆け抜けて気が済んだからだと断言できます。思い返すとほぼ発狂してるというくらい、そういうパワーで写真に取り組みました。

だからこそ新しいキャリアに納得できる自分がいて、それを楽しめるし、怖いものがない。どんなに大きなプロジェクトでも1つのことを遂行することには自信があるからです。

カメラマンとして頑張っている皆様に心からのエールを送るとともに、カメラマン以外の道を選んだ英断にもエールを送り、この連載をおしまいにしたいと思います。
ありがとうございました。