佐藤さんが事務所を設立されたのが1977年です。最初のきっかけは何だったのですか。

単純な話、朝早く起きるのが苦手なんです。

えっ...。

普通に大学まで出て、銀座でちゃんとOLもやってたんですよ。でも根が怠け者なのよ(笑)。結婚して子供ができたこと、それとうちの旦那がすごくお金がかかる男で...。うちのダンナの職業から、この世界に入るきっかけになりました。

どのような職業なんですか。

電通等と仕事をしていました。だけど彼は「地球には雪男が現存する」と信じていて、ずっとネパールに行っていたんです。
谷口正彦さんという有名な登山家がいるのですが、その人と組んで、ずっと雪男を探していました。色々なメーカーとタイアップして、フィルムなんかも雪山でテストしていたのだけど、そんなんじゃ、お金が追いつかない(笑)。
いずれにしても、自分自身も朝起きるのが得意じゃないし、子供も食べさせていかないといけない。そうやって考えた時に、時間を気にしなくて済んで、子供が育てられる職業は「社長」でしょ(笑)。だから社長になったのよ。夢がどうとか、そんなことじゃないんです。
それともう一つのきっかけとして大きいのは、私、割と杉山登志さんに育てられたんですよ。

「伝説のCMディレクター」と言われている杉山さんですか。

そう。私が大学生の頃、杉山さんの仕事で中学生のモデルの撮影があったのね。その娘達がロケに行く際に、学校の勉強がおろそかになったらいけないって言うので、ロケについて行って、アルバイトでモデル達の家庭教師をしていたんです。 昔はね。当時は日本天然色ともすごく仕事をしていて、もう忘れちゃったけど、家庭教師のアルバイトでいい時給もらってたんじゃないかな(笑)。それがこの業界に入るきっかけです。 でもモデル事務所にも色々あって、「勉強や教育をきちんとしないといけない」と思っている事務所もあれば、「稼げればいいや」と言うところもあった。事務所の考え方によって全然違いましたね。

  • (左)ナホ (右)カスミ(左)ナホ (右)カスミ

昔は雑誌やスタジオが「人」を育てた。

話が飛ぶんだけど、昔は六本木スタジオなどのレンタルスタジオは、空いていたらよくフォトグラファーの作品撮りに協力していました。そこで色々なスタッフが集まって作品を作る。私も家庭教師のアルバイトをしていた頃に「なんかいい洋服ない?」と、よく聞かれました。 お金はないけれど、「ものを作っていく」ということが楽しかった。その中で私は「ハイファッション」と「流行通信」はものすごく思い入れがありました。

印象に残っているのが、昔ハイファッションで、細谷秀樹さんが荒れたモノクロ写真のページを持っていたのね。最初は評判が悪かったのだけど、ハイファッションはずっとそのページを維持していた。フォトグラファーを育てようとしていたのね。冨永民生なんかもそんな感じ。レスリーなんかは、あちこち顔を出して、自分で育っちゃったでしょ。今はああいうタイプが残るのね(笑)。

フォトグラファーになるために、「この師匠について、ライティングを学んで〜」、というプロセスを経なくなったでしょ。なぜならデジタルカメラで失敗しなくなったから。フォトグラファーも編集者も器用な方がいいんです。それが求められているから。私でさえデジタルカメラを持っていて、それなりに撮れる時代に、「本物」を探すにはどうすればいいのかなと、考えさせられますね。

ピラミッド構造の頂点にいる人達は、名前が通っていて、その名前で仕事がきたり、プレゼンが通ったりしますよね。でもピラミッド構造の中身が大きく変わってきている。「今は状況が厳しいから」と諦めるのは簡単だけど、クリエイティブに関して責任ある立場の人達が、今後どうやって再生していくのか。自戒を込めて構造改革していかないといけないと思います。

服を作るのがスタイリストの仕事。

スタイリストという職業名は、昔はなかったんですよ。今はスタイリストと言えば、「お店から洋服や小物を借りてくる人」とうイメージですが、当時は私たちでも服を作っていましたよ。いつの間にか、「お店から服を借りる」というのが主流になっちゃいましたね。「デザイン画を描いて服を作る」とか、「この衣装はうちのオリジナル」というのが大事だったのだけど。

モデルに関して言えば、いいモデルって、1社だけ出ることに価値があったのに、今は「何本出ているか」が、人気のバロメーター的な部分がありますよね。スタイリストも似た洋服を借りてくるから、色々被ることもある(笑)。 「カッコイイ」という概念が少し違ってきている。今は表層的。昔はフォトグラファーでも「アイツの生き様がカッコイイ」と言うようなストーリーが必ずついていたんです。操上って名前が出ると、「操上さんという人はどうのこうの〜」って、話が発展するわけ。でも今、そういう名前だけで生き様が浮かぶ人はなかなかいないですね。

フォトグラファーやモデルエージェンシーの、マネージャーの売り方もマズいかもね。以前は、「海外の○○に住んでいて〜」というセールストークが通用したけれど、今は全然関係ない。「どこに居た」からではなく、「何をしていた」かが重要。モデルエージェンシーも作品撮りに協力して、次のフォトグラファーを育てなきゃ。

昔はフォトグラファーでもモデルでも、「売れるために皆でがんばる」と言った、お互いに切磋琢磨していく状況があったけけれど、今は「売れている人を指名すればいい」と言った皆が一見さんになっていて、関係が希薄になっている気がします。 一度、テスト撮影したくらいじゃ、お互いわからないでしょ。「やりやすい」「気心が知れている」のはいいけれど、そこに美的な緊張感が入っていなくて、ナアナアの方の「使いやすい」って言うのが優先されている気がしてならないのね。そこから生まれてくるものでは、人を感動させられないでしょ。

経済はある程度のところまできたら、頭打ちして伸び悩みますよね。ネットで情報も山ほど入るようになっているけれど、日本の大人達が、本当にいいものと、そうでないものとを教えきれていなかったのではないかなと反省しているんです。 私が若い頃は「いいものをずっと長く使う」というのが当たり前でした。バブル時代にボディコン着て踊っていた世代が、今、お母さんになっているでしょ。彼女達はそれよりも商品を買い替えるサイクルが早い。そしてその子供達はさらに安いものをどんどん買い替える。回転がすごく早くなっているんです。そうすると、もうわけがわからなかくなってきちゃう。

  • (左)アンジェラ(右)小泉(左)アンジェラ(右)小泉深雪

モデルエージェンシーは、いしだあゆみか都はるみのどちらかにならないとダメ。

ある方に「モデルエージェンシーをするなら、いしだあゆみか、都はるみのどちらかにならないとダメだ」と言われたことがあるんです。その時はどういう事がわからなかった。 いしだあゆみさんはファッショナブル。都会的。都はるみさんはポピュラー。そのスタイルをはっきりしろ、と言う事だったんですね。例えばうちのモデルがファッションショーに出ると、それなりの単価になります。でもその娘なら10万円の服を着ても、200万円に見せる力がある。でももう一方では、5人のモデルに10万円の服を着せて、スーパーの洋服にしか見えないけれど、5人で踊ればそれなりに喜ばれる(笑)。「モノの本質が必要ではない時代が来る」。それがたぶん「今」なんじゃないでしょうか。

館岡事務所ではどのようにモデルを探されているんですか。

他の事務所から移ってきている娘がほとんどです。うちは最大10人くらいですから、ケアが行き届くんですよ。それはモデルを使う側から見ればわかるって言われます。所属のモデルにはきっちり教育もするし、大事にします。「モデルとしてやるべき事、やってはいけない事」もハッキリ教えていますし、規範をしっかり持っているつもりです。

若い人達へメッセージとアドバイスをお願いします。

失望はしていないけれど、若い人に「思想」や「情熱」みたいなものが見えなくなっちゃった気がする。私たちが心を打たれるのは「必死さ」じゃないですか。「ホントにこの人はやりたいんだな」と思えば、心も動くし、協力したくなるじゃない。それが最後に感じられたのはレスリーなんです。彼は本当に足繁く通って来てた。必死だったもん。うちの娘の写真が撮りたいって。 その「やりたいエネルギー」を持って当たれば、ハートは結構揺さぶられるものなんですよ(笑)。だから若い人も、情熱をもって訴えて欲しいし、私たちもその意思を感じたならできるだけ応援していきたいと思っています。