写真に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか。

写真を撮り始めたのは専門学校に入ってからです。もともと映像の専門学校に通っていまして、その中の授業の一コマで写真の授業があったんです。当初は映像を学ぶのが目的でした。

それはムービーキャメラマンとか、監督とか。

いえ、正直な話、そこまで考えてなくて。そういう仕事の職種的なこともまだ知らなかったほどです。 最初は、モーショングラフィックスやCGを学ぶための大学も検討したのですが、そこの付属の専門学校に映像学科があったので、とりあえずそこへ行こうと決めました。


橋本英之さん

映画やCMなど映像に興味があったのですか。

そこまで思い入れがあるわけではなく、このまま普通に一般の大学へ入って就職して...、という未来があまり描けなかったんです。

美術の授業が好きだったので、美術の先生に相談したら「美大に行けば」というアドバイスを頂きました。ただ美大へ入るのに何も準備してこなかったので(笑)、それも間に合わないなあと。

各種学校を調べていく過程で、CGやモーションキャプチャーに興味が出てきたのですが、それをやるためには、まず映像を知っていなければいけない、という考えに至りました。レンズのミリ数や構図ですね。その大学にはそのような学科がなくて、専門学校を選びました。それこそ、監督が何をするのか、キャメラマン、照明技師が何をするのか等、何もわからず入学した感じです。


Noah - Flaw
MV:Noah Flaw ©flau・TAKCOM・P.I.C.S.・McRAY Dir=TAKCOM Pr=加島貴彦

映像を学ぶために入った学校で、写真に興味を持つようになったのはなぜですか。

写真を教える先生が、とってもユニークな方で、よく飲みに連れていってくれました。その先生が大好きで、写真の授業も楽しかったんです。

映像制作も楽しかったのですが、そこのやり方は自分でお金を出して、監督から脚本から照明からカメラからすべて自分でやっていくので、結構辛かったんです(笑)。学校によっていろいろやり方があると思いますが、うちの場合は1本作るのに何ヶ月もかけてやっていました。

編集も全て自分でするので、そこがちょっとしんどくなってきたんです。でも写真って、1人で撮りにいって、1人で暗室に入ってつくりますよね。自分とカメラと被写体さえあれば表現できるという方法が、すごくシンプルでよかったです。それが写真に興味を持ったきっかけです。

映像に比べたらシンプルかもしれません。そのまま写真に興味を持って、卒業後はレンタルスタジオに入ったんですね。

そうです。それも先生のアドバイスでした。映像系の就職先も考えたのですが、「今すぐに映像系に行くよりも、スチルの経験を積んだ方がいい。今は映像もスチルも撮る人が増えているから、将来両方をやりたかったらそうすればいい。(当時)デジタル撮影に力を入れているレンタルスタジオもあるので、デジタルの勉強をしておいた方がいいんじゃないか」ということでスタジオに入りました。

その頃は仕事が終わってから、先輩が出された課題をいろいろやっていました。4×5で撮影もするし、デジタルカメラで撮影もするし、フィルムからベストなスキャンをする方法、デジタルデータをレタッチしたり...、 マックスでは週5日泊まっていました。ライティングや撮影のノウハウも学べたし、忙しくても楽しかったですね。


イオン「イースターキャンペーン Let's start EASTER Party!」(ポスター/web)
A&P=電通関西+アシタノシカク+パドル CD=中邨正人 PL=谷村隆裕 AD=川村志穂・大垣ガク Pr=柳原一太

その後、内田将二さんについたんですね。

直アシにつくなら、自分の想像の及ばないというか、まったく経験したことのない人に付かないと、意味がないなと思ったんです。大前提として、内田さんの撮る作品が好きだったということがあります。

ムービー撮影をやりたいという気持ちもずっとあって、内田さんがムービーを撮っているということも知っていました。


大塚製薬 「賢者の食卓」(店頭ポスター)
A&P=電通+アドブレーン CD=川野康之・篠原誠 AD=松下仁美 C=鈴木晋太郎 CP=島朋子

ラフォーレの撮影をしている頃かな。

そうです。ちょうど野田凪さんと色々作られていた頃です。

内田さんのところで学んだことはなんですか。

シンプルに言うと仕事の仕方です。それこそ打ち合わせから現場、フィニッシュまで「仕事ってこうやって流れていくんだ」という事を、背中を見ながら学ばせて頂きました。

独立してからはどのように動かれましたか。



独立して 1〜2ヶ月たって、焦り始めました(笑)。アシスタントについていた頃から、作品は撮っていたので、BOOKにまとめて営業に周りましたね。独立したのが3.11の起きた2011年で、同世代のプロダクションの知人からも仕事がもらえなくて苦労しました。

最初にオファーをいただいた仕事は、マールボロの広告撮影でした。最終的には少し間が抜けつつも、3 年間位やらせて頂きました。プロダクションがAOI Pro.の御沓さんだったのですが、この広告の仕事をきっかけにお声をかけて頂く機会が増えていったのが、ありがたかったです。

ほんとに最初は、マールボロのイベント用のポートレートを150人撮りました。そこからタイミングよく雑誌広告をやらせて頂いたり、最後の方は、撮った写真がドバイとかでも掲出されていました。

一つ一つの仕事の積み重ねが大事ですね。

そうですね。撮影業界の仕事は一期一会な所が大きいし、やった結果の評価がよくも悪くも自分の知らないところで広がる世界だなと思っているので、ひとつの仕事をどれだけ丁寧にきっちりやっていけるかが大事なんだと思いました。


GU「CRAFTED EARTH」(店頭ポスター)

A&P=電通+PLUG+amana SCD=岡戸芳生 CD=奥野圭亮 AD=松下仁美 De=徳原賢弥・石塚優子(PLUG) C=奥村広乃 CP=菅野智子(cielo) ST=一ツ山佳子(SLITS) HM= 小西神士(band) 美術=名嘉眞秀(sui) MODEL=Thea Pr=奥貫克郎・中澤竜也(amana)

映像の仕事はいつ頃から始めたのですか。

映像はアシスタントの時に、同世代の友人がいて、出村監督と田向監督という二人が、それぞれ独立した時に、「ムービーの仕事をしてみないか」ということで、声をかけてくれました。

映像で大きな仕事の場合、監督の指示や照明技師との連携等、スチルと違ってとまどう所もある気がします。

何も考えてなかったですね(笑)。普通に仕事として現場に入りました(笑)。

内田さんのところでも色々経験してきましたし、プロダクションや広告会社、照明さんや美術さん含め、顔を知っている方はたくさんいたので、今までの延長線上みたいな感じでやれているところはありました。今思うとありがたい話です。

まだスタジオD21のアシスタントだった頃にムービーの現場に初めて入った時、センチュリー1本を、スチル用に持っていったらものすごく怒られました(笑)。「そうか、これはムービー用にレンタルされたものであって、スタジオにある機材じゃないんだ」って初めてわかったり。

スタンドの本数も管理されているのに、スチルのアシスタントが挨拶もしないで勝手に持っていくのはまずいですよね。

苦い経験しないとわからないこともあるね(笑)

ムービーと連動でスチルを撮るのはよくありますよね。だからそこにあるものは何でも使ってよいと思ってしまう。照明の人も、スタジオに所属している方だと勝手に思っていましたから(笑)。

ムービーとスチルで機材やワークフローの違いについてどのように対応してきたのですか。

基本的な流れは同じだなって思います。例えばデジカメで撮影した後、デフォルトで現像して100%表示をしてPhotoshopでいじった時に、そのカメラの特性やレタッチ耐性、どこまでやったらノイジーになるとか、テストしますよね。それと同じ事をムービーキャメラでもやって検証しました。

ムービーもスチルの撮影も編集も、アシスタント時代に両方を見てきたので自分の中では特に変わらないです。


資生堂「MajolicaMajorca」魔法のピタゴラメーク Cosmetic Rube Goldberg Machine #MakeupisaStory #MajolicaMajorca | 資生堂(WEB) A&P=電通+テー・オー・ダブリュー+太陽企画 CD=クドウナオヤ 監督=北田一真 Pr=江口航治・細川修平

ADFEST 2017 (FILM CRAFT シルバー受賞)
https://www.shiseidogroup.jp/news/detail.html?n=00000000002158

デジタルカメラとPCがあれば撮影できる時代になり、サイネージやインターネットなどメディアも広がっています。若手がこれから仕事をするにあたってどうやって仕事を増やしていけばよいか、アドバイスをお願いします。

僕が思うのは「迷わない」「シンプルでいること」ですね。それはどんな仕事でも同じだと思うんです。継続すること、シンプルに突き詰める、それしかない気がします。

それをやり続けるのってキツイじゃないですか。やり続けることが正しいと思うし、継続して努力する中で初めて「ダメだったら仕方ない」ということになるかもしれないけれど、やってもいない、まだ一人前にできもしない状態で「食べられない」「仕事がない」と言ってもはじまらない。まず「努力しな」って言うことですね。

無駄だって思うこと、割に合わないこと、そんなことはいくらでもあります。景気のよかった時代とは違うとか、色々あります。アシスタントがやりたくないんだったら、自分で作品を撮って発表し続けたり、写真集を出し続けることだとか、継続するやり方は変えてもいいと思う。何をやるにも全ては継続して動くことじゃないですか。




ユニクロ「サマーボトムス ゆるひらボトムス」(店頭ポスター・Web)
A&P=電通+TYO/モンスター ECD=西橋佐知子 CD=植村倫明・関陽子 AD=植村倫明・小島梢 C=関陽子 Pr=本間功

写真学校の入学説明会、レンタルスタジオの就職説明会で「職業として食べていけるのか」という質問が出るようです。

そういう質問をする人ほど、行動していないと思うんですよ(笑)。

BOOKを持って営業にいく時に、知らない人に電話をしてアポイントをとるじゃないですか。僕は、MdNデザイナーズファイルを見て、ほとんどの方に連絡しました。タイミングが合って持ち込めたのが1割くらい。そこからさらに仕事を頂ける機会って少ないわけじゃないですか。とにかく動くこと、動き続けて道を開いていくことだと思います。

あとさんざん回って思ったのが、デザイナーの方々も「仕事をとるために企業や代理店にプレゼンしているんだ」ってこと。仕事をとってきて、そこから自分達に発注してくれているんです。

そういう方々に対して、まだ仕事の実績が少なかった頃は自分のBOOKに説得力がない分、やりたい事や自分に出来る事など、プレゼンの仕方も色々考えました。

スチルとムービー撮影で意識の違いはありますか。

僕自身は写真と映像というカテゴリー分けの意識が最初からなくて「絵を作ることに興味がある」という所でこの世界に入っているので、それがスチルでもムービーでもCGも、コンテンツという大きな枠組みの中の手法にすぎないと思っています。

スチルの仕事が潤沢にあればよいですが、ムービー撮影の需要が増えているなら色々やっていた方が引き出しも増えますし、楽しいです。でもそれが写真を撮る時にも活きてきますからね。


Art Work in Salt Lake City

今後やってみたいことを教えてください。

自分の写真集は作りたいですね。オリジナルになるか、タレントの撮影なのか、風景なのかまだわかりませんが、プロジェクトとして一つの被写体を長く追い続けるということをやりたいです。

あと最近思うのは、ゲームCGのクオリティがすごく上がっているなということ。その撮影監督をしてみたい。ハリウッドでもカメラマンはカメラを持たないでオペーレーターは別にいいます。撮影監督としてアングル、光、構成を考える仕事。

映画ではそういうジャンルが確立されていますが、ゲームの映像ではまだいないか、少ないと思うんです。それをやってみたいですね。

特にオールCGの場合は、カメラワークが自由すぎて(笑)、絵がすごくかっこいいんですよ。スピード感を含めて。こういうCG映像を作っている人たちも、フォトグラファーが「どの角度で、どんな焦点距離と絞りで撮れば、一番美しく見えるか、ということをかなり勉強したり、シミュレーションしていると思うんです。

そういう職種はこれからもっと必要とされると思います。ハリウッドやディスニーではないですが、日本でもCGのゲームや映画は増えていくと思うので、CGゲームでDPポジションの仕事があればぜひやりたいです。