ヒロ杉山さん主宰で2014年に開催された「Here is ZINE tokyo9」展で、 瞬く間に完売したのが、HAYATOさんが撮影・制作したZINE「oneness」だった。 ある意味、メジャーなテーマである「ヌードフォト」を、HAYATOさんがどのように解釈して撮影したのか、話を訊いた。

このヌードのシリーズはいつから撮り始めていたんですか。

ヌード自体は、前々から作品撮りの中で撮ることはありました。ヌードって美しいものだと思っていましたし。そこから広がる世界観を表現したいなと思ったのは、ヒロ(杉山)さんが企画されている「ZINE展」への出展でお声替え頂いたことがきっかけです。

ヒロさんご自身が、商業的にも現代アーティストとしても活躍されていて、作品のメッセージ性も強くて、常々すごい方だなと思っていました。そんな方に声をかけて頂いたので、「今までにない自分の中の引き出し」とか、「眠っていたもの」を表現したいなと。そういったものを「思い切り表現できる場を提供して頂いたんだ」と思いました。それがきっかけで、とことんヌードフォトを「振り切ってやってみよう」と考えました。

今回の作品は、全て「顔を見せないシリーズ」になっています。それは僕の中で「説明要素」をできるだけ省きたかったというのがあります。
写真を見た人が、できるだけ自由に解釈して広げてもらえば嬉しい。ただ人間味だとか、感情をなくすとか、そういうことではなくて、生きていることの喜びや悲しみ、慈善や暴力とか、そういうこと全て含めた絶対的存在というものを、写真空間で表現できればと思っています。

空間から溢れ出す空気感だとか、体から溢れ出す感情とか、それも一方向の見え方ではなく、人によって見え方が違うと思うので、それを広げて見せられるようにしたいと思いました。



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顔が見せないことで、想像力が膨らみますね。

個人にフォーカスをあてたドキュメントも好きなのですが、今回は敢えて顔出ししていません。
それと、この温度感を有機的に表現したかったので、今回はアナログで制作しようと思いました。

フィルムで撮影ですか。

そうです。このテーマを考えた時に、何か物質に焼き付けたかったので、フィルムで撮影して、和紙にプリントしています。
あと、撮影した後に、レタッチや加工は何もしていなくて、撮ったままの状態でプリントしています。もちろん焼き込みとか、覆い焼きなどはしていますが。
そういった所にもこだわりを持っています。

フィルムや感材の種類も年々減っていますよね。

そうなんです。1枚1枚切るのに、4×5を切るような感覚でシャッターを切りました。この作品では使用しませんでしたが、実際に4×5で撮った写真もあります。この作品に関しては、そういう気持ちで撮影しています。
最近、ランドスケープもすごく撮るのですが、じっくり「切る瞬間」を待つというか...。デジタルカメラであっても、1枚1枚を大事に切るようになってきましたね。

表現してもらう人達にも細かい指示を出すのではなく、大きな流れだけ伝えて、あとはモデルや制作メンバー、それぞれの解釈に出来るだけゆだねて表現してもらっています。あまり決め込み過ぎないようにしていますね。

撮影場所も様々ですね。

そうです。廃墟みたいな空間だったり、ハウススタジオだったり、色々です。スタジオで黒バックでの撮影もあります。 ヌードは美しいですが、先ほどお話したような色々な側面があると思うので、あえて腐敗的な所で撮影したり、建築と融合した見せ方とか。体の美しさとかラインを見せるというよりは「空間全体としての演出」を重視しています。

シチュエーションやポージングも気になりますし、見る人によって捉え方が変わります。

はい。この写真(下記)とかは、人によって「ドクロに見える」と言われたりします。これはドライフラワーで、撮影時はカラーで見ていますし、そんな意識はなかったのですが、美しさの中には「毒気」や「狂気」が潜んでいるのかもしれません。





以前、展覧会で発表した「Heart 2 Heart」の時は、1点1点のテーマがあったので、それを説明したかったんですね(笑)。オフィシャルではそんなに語っていませんが、ギャラリーに来て頂いたお客さんには説明をしたりして...。でもそれは少ししゃべり過ぎたかなと(笑)。なので今回は、固定観念なく見る人が感じて、広げて頂ければと思っています。

タイトルの「oneness」はどういう思いでつけられたのですか。

先ほどお話した、いいことも悪いことも、慈善も暴力も「全ては一つ」という広義な言葉にしました。「今起こっていることは人生の一部であり、全て。」という意味でつけています。
僕は写真を撮る時に、いつも篠山紀信さんの言葉を思い出すんです。
学生時代に、篠山さんのトークショーを聞いた時に、ある人が「撮影前にイメージを決めてから行かれるのですか?」と質問しました。それに対して篠山さんが「ある程度は決めていく。でもいつも、写真の神様が降りてくるんだよ」って、言われたんです。
その言葉が、すごくインパクトがあって、ずっと心に残っています。

それ以来、作品でも仕事でも、事前にイメージはある程度持っていますが、「隙間を作っておく」というか、写真の神様が降りてくれるような感覚を意識して、ライブを撮っているような感覚で現場に望んでいます。 現場で化学反応がおきて、イメージ以上の違うものが生まれた瞬間というのは、結果的に「写真の神様が降りてきた!」って、いつも言っています。

遡りますが、HAYATOさんのプロフィールは、レスリー・キー氏に師事後、独立。というシンプルな表記なのですが、もう少し詳しく教えて頂けますか。

学校で写真を学びました。元々はフォトジャーナリストを目指していました。今と全然、畑が違いますが、人の命とか、そういうところに敏感だったんです。
たまたま入った喫茶店で見た、東南アジアの方々のドキュメント写真が心に響いて、「自分もこういうのが撮れたらなぁ」と思い、安易な考えで学校に入りました。

学校に入ってからは「写真を撮ること」についてすごく考えました。「撮る行為」には責任が生じますから。
ジャーナリストだった場合、戦争の現場に行く前に政治やその背景について考察して、自分なりの考えを持って現地に行くじゃないですか。人が亡くなっている姿とか、僕は亡くなっている所を撮りたいわけではないですが、仮にそういったメッセージを伝えていく立場になった時に、背景をわかっていないと人の命の重たさを写真で伝えることはできないなと、その時点で思ったので、違う方向(ジャンル)に進もうと決めました。

学校卒業後は、教師助手として務めました。その時、平行しながらライブ写真も撮っていました。ライブ空間の「生の感じ」が面白いなと思って。

ある時名古屋のクラブMAGOで、「12月1日のAIDS(エイズ)撲滅Dayに、写真を展示してほしい」と言われ、SEX(性)をテーマにした写真を展示したんです。
それをたまたま、東京でイベント情報誌を作られている方が、そのクラブで僕の写真を見て、「東京で色々撮影を手伝ってほしい」と言ってくれました。「じゃあ思い切って東京に出よう」と。それが9年前の話です。

上京してからは「イベントのフォトグラファーとして日本一になりたい!」と思って、3年間位、ほぼ毎日ライブ、イベント、ファッションショー等を撮りまくっていましたね。写真研究も沢山しました。当時は東京キャ☆バニーというダンスユニットを毎月のように撮影させて頂いていました。僕に表現という世界を強く魅せてくれた人たちで、僕が作品を創るときの考え方の原点となりました。


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もう少し遡ると、学生時代に金属アーティストの伊藤洋介さん(TRUSSBOX)を撮らせて頂いていて、その方が永瀬正敏さんと共同で、作品を作られていたんです。 僕がいた学科は正確には編集学科だったので、当時は編集系ソフト、QuarkとかIllustrator、Photoshopなどを使って、ドキュメントを撮って、インタビューをして1冊本を作ったんです。
アーティストの方と永瀬さんのツーショット写真が使いたかったのですが、さすがに「借りられないだろう」と諦めつつ、学校の先生に相談したところ、「お願いしてみなよ!」とアドバイスされました。それで入稿の前日に連絡したら、大事な写真なのに貸して頂けたんです。

些細なことかもしれませんが、それを実現できたことが自信になり、「何事もトライすれば何とかなる」という考えに変わりました。そこから、どんどん色々チャレンジできるようになりましたね。東京で仕事をしたり、「レスリーさんにつきたい!」と思ったのもそれがきっかけになっています。
今、さらに活動的になっているのは、レスリーさんがパワフルで、エネルギッシュに動かれている方なので、それを見習ってもっともっと行動しようと思っています。

実は2015年の5月に、フランスで写真展をする計画があります。友人のダンサーがフランスをベースに舞踏をやっており、彼が僕の作品を見て「一緒にやりたい」と言ってくれました。
仕事でも作品発表でも、自分がアクションを起こすことで、化学反応が色々起きて楽しいです。
ヌードシリーズもそうですが、継続して作品制作は続けていくつもりです。そして、多くの人の心に刻まれる作品を発表していけたらと思っています。



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