最初に、フォトグラファーを目指すようになったきっかけから教えてください。

元々僕は映画に興味を持っていました。映画好きの家族でしたが、特にオシャレなものとか、サブカル的なものではなく、ハリウッドの大作ばかり観ていました。

父親が亡くなってしまったのが、中学1年生の時で13歳としては混乱するわけです。「どうやってこの現実と自分の人生のバランスがとれるのだろうか」と。
人との関わり合いや、大切な人が亡くなっても毎日時間が正確に進む事であったり...。本当に悩んでいる中学生時代でした。もしかしたら逃避として、映画を見続けたのかも知れません。その中で映画のエンドロールに惹かれたんです。「世界に何かを残したい」と思い始めたのも、この頃でした。

当時はジェラシックパークとか、フォレスト・ガンプなどのCGが出てきた頃で、技術職として日本人も活躍しだしていて、映画を通して名前と仕事を残す道もあるんだと思い、遠くの国で作られた映画のスタッフクレジットに、勇気と憧れを持ちました。

「映画を作ってみたい」という思いは持ちつつ、高校生の時に音楽と出会いました。休み時間には、悶々としながらヘッドホンで音楽を聞いている少年でした。その後バンドを組むようになり、初めて友達と「何かを作る」という事を実感しながら高校時代を過ごし、日本映画学校に入学しました。

映画を勉強する中、授業で1年間に1〜2本自主制作をするのですが、自分としてはペースが合わないというか...、親からも早く自立したいという思いもあったし、自分自身が「表現」を通して、悩んでいた自分を断ち切りたかった。その時に出会ったのが「写真」でした。

映画学校ですよね。映像は撮らなかったのですか。

映像は学校の授業の一環で16mmカメラを回していました。またSONYのVX2000を使って自主映画もカメラマンとして撮影していました。映画も年間300本くらい見てましたね。卒業するまでは、写真と映像のどちらの道に進むのかを決めずに、平行してやっていました。

写真は独学で進めていた事もあり、在学中からロッキンオンジャパンの山崎さんに、作品を見て頂いていました。プロの編集者にアドバイスを受けるのが、すごく勉強になりました。
スタジオに入るきっかけになったのは、野村浩司さんの短編写真の発売でした。野村さんが撮影された岩井俊二さんのPiCNiCのポスター写真は、初めて見たときから記憶に強く残っていましたし、音楽とのお仕事も写真集も素晴らしかった。 野村さんの写真を目標に仕事に取り組もうと思い、アシスタントを一度させて頂いたのですが、右も左も分からない状態だったので、まずレンタルスタジオで勉強する事を薦めて頂き、その後、代官山スタジオに入社しました。

代官山スタジオで、2年間アシスタントを経験しながら、野村浩司さんやgo relax E moreの石黒淳二さん等、沢山のフォトグラファーにお世話になりました。
ロッキンオンジャパンの山崎さんにも継続して写真を見て頂いていて、ある日「チャットモンチーってバンドがデビューするから、太田君撮ってみない?」という話を頂き、プロとしてデビューしました。当初は手探りで営業に回りながら、レコード会社や雑誌関係の仕事を広げていきました。当時から国内外のバンドと沢山お付き合いがあったのですが、その写真を中心してクライアントに出会っていった形です。

一緒に成長している感じですね。

一緒に成長していると言うよりも、「成長していく彼らをずっと追いかけている感じ」ですね。 昨年、toeがフジロックのグリーンステージで演奏しました。初めて見た時は、ワープという250人入れば満員のライブハウスで、お客さんがいないところから見てきているので、とても感動しました。

自分の中では音楽やバンドとリンクしながら、仕事や作品制作をしていく、ということですか。

音楽は様々な意味で身近にあります。日々リスナーとして聞く以上に、友達としての付き合いがあったり、家族との付き合い、ビジネスとして仕事をすることもある。 写真もそうですが、音楽をやっている方達は、音楽の歴史と戦っていかなければならない。その中で、チャレンジしていく姿勢が素晴らしい。音楽をやっているから側にいるというよりも、みんなのそういう姿勢に惹かれるんです。

クラムボンとの出会い

「クラムボン」とはどのような出会いなんですか。

約7年前に、ベースのミトさんと最初に知り合いました。駆け出しのフォトグラファーの頃で、仕事を通して少しずつ話す中で、距離が近くなっていきました。

2010年に発売した「2010」というアルバムがあって、これがクラムボンと仕事の始まりです。「レコーディングスタジオに来て写真を撮ってほしい」と頼まれたのがきっかけです。最初は驚きましたが、きっとミトさんが声をかけてくれた時、壁にぶつかって悩んでいた僕を励ます気持ちもあったのかなと思います。この写真はレコードにもCDにもなっています。

この時は深夜にレコーディングが終わってそのままゴハンを食べて、「夜が明けるから、外で撮りましょうよ」みたいな雰囲気で、外に連れ出して撮りました(笑)。

朝日なんですね(笑)。それまで撮らなくて心配じゃないんですか。

クラムボンの撮影では「その瞬間瞬間に何ができるか」が常に試されているというか...。昨年撮影したアー写も、その日まったく撮るって決まっていなくて、「太田君、撮ろっか」「今、やっちゃう?」「今すぐ撮りましょう」みたいな...。その時の気持ちとか、その時の空気とか、天候とかを掴んで撮影します。

レコーディング中に撮影するのは難しいですよね。レコーディングも写真も二度と帰ってこない瞬間と向き合っているわけだから。レコーディングを尊重しつつ、いつでも写真が撮れるようなモードにしています。

2012年に吉祥寺のキチムで「スライドーショー展」をやりました。この年にクラムボンが、「ドコガイイデスカツアー」というのをやっていて、お客さんからライブ会場を募集したんです。例えば幼稚園であったり、洞窟や教会だったり...。ライブ会場ではなくて、面白い建物でライブをするようになって、そのファイナルが、九州・博多の「百年蔵」(酒屋)だったんです。そのツアーが最終日だったので遊びに行ったんですね。 「遊びに来ちゃいました」って突然行って、その時に撮った写真がこれです。

  •  九州・博多の「百年蔵」(酒屋)で撮影。

セットリストを考えている時の写真なんです。その時の写真がよかったから、「スライドショー展」をやってみよう、という話になりました。それは「3peace2」というライブアルバムのジャケットにも使われています。

オファーを受けて撮影にのぞむことも大切ですが、「自分の心が動いて、どこかへ向かって、撮ってくる」という行程が好きなんです。できるだけ素直な気持ちでいて、心がそこに反応したものを撮った写真は、見た人が、それを感じてくれると思うんです。 ファンの人達は、僕よりもバンドをよく見ているだろうし、目も耳も肥えているでしょう。「ファンの方達と同じ目線に近付いていって」となると、自分もファンとして自分の心が動いた時に写真を撮りにいくのが一番いいと思っています。

写真を見ると、構えていないというか、自然体な感じですよね。

構えてないです。現場で「どこにいたの?」って、聞かれる時もあります(笑)。人って、まわりに及ぼす空気って、すごいじゃないですか。 自分の気配を消したり、わざと主張したり...、そういう駆け引きはしていますね。

DVD「えん。」について聞かせて下さい。

「えん。」のライブが開催された野外音楽堂「オープンシアターEAST」(よみうりランド内)が2013年4月でクローズしました。あの会場は海外のジャズミュージシャンも演奏するなど、東京の音楽シーンでも大切な場所だったんですね。そこが終わってしまうと言うこともあって、「映像として残しておこう!」という事になり、昨年僕に声をかけて頂きました。

最初は、Voの郁子さんと打ち合わせをしていく流れで、"普通のライブDVDにはしたくない"という話になりました。一昨年の両国国技館でのライブも映像化されてたので、ドキュメンタリーを作ろうと流れになりましたが、長編の監督をしたこともなければ、編集も素人です(笑)。最終のイメージも撮るタイミングもわからない。それで、まずはメンバーと一緒にいる事から始めました。いつ撮ったらいいかわからないので、「撮り続けるしかないな」って、思ったんです(笑)。「一瞬足りとも見過ごしたくない」と。

一眼ムービーって、無限に撮り続けられるわけです。1日10時間撮ればそれなりの量になるし、「みんなも僕がカメラを構えている事に慣れるんじゃないか」と。
とにかく撮りました。大変ですが、一緒にいる時間に何が起こるかわからないし、セットリストもアレンジも決まっていない状態でしたから、全てを撮ろうと思いました。

映像を見て頂ければわかるのですが、クラムボンがバンドセットで楽曲を演奏するのが、その年で初めての曲があったり。曲をアーティストが思い出しながら、自分達が作り出した懐かしいものに出合う瞬間とか、肩の力が抜けている感じ。「自分たちがこういう事をすると、お客さんが喜ぶんじゃないか」というものが生まれてくる素直な瞬間、と言えるかもしれません。

何日くらい撮影しているのですか。

カメラを回していたのは、トータルで20日間くらいです。小淵沢だけではなく、東京での打合せや、衣装合わせなども撮っています。とにかくずっと撮ってましたね(笑)。素材量がおそらく300時間くらいあったんです(笑)。

自分の記憶を辿りながら、1日5〜6時間、毎日のように編集にあてて、ストーリーとして成立する要素をまとめていったら、約5時間になったんです。これはもう、「DVD2枚組にするしかない!」 でも誰が見るんだと...(笑)。

2012年末に三谷幸喜さんのポスターを撮影させて頂いたのですが、その時に、三谷さんの「監督だもの」を読みました。その中で「映画はお客さんが見やすい形として、2時間を切るように編集している」、という旨が書かれていたんです。 そのお話が過去に見た沢山の映画の物語のあり方とリンクして「じゃあ、僕も2時間を目指そう」と思い、昨年12月くらいから、再度編集作業にかかりました。

5時間から半分以下に削るわけですね。

そうです。その時点でクラムボンがすごいなと思うのは、選曲とか曲の並びとかを僕の自由にさせてくれたんです。普通は、「この曲推したいから」とか、「曲順指定」が事務所から入ることもあるでしょう。でもそういう事もなく、もう「出来ました!」っていう段階で、半ば強引な勢いでメンバーに見せたんです。緊張しましたけど(笑)。

それが2時間バージョンですか。

まだ削ろうと思っている箇所も含めて、2時間15分バージョンでした。それを見せた時に、メンバーが見ながら笑ってくれて、「面白かった」「好きにしなよ」って、言ってくれたんです。

音楽会社は何も言わないんですか。

メジャーレーベルのコロンビアから発売されるわけですが、最初から「太田くんの好きに作って」とも言われていました。

プレッシャーもあるし、幸せな仕事でもありますね。

本当にそうですね。お話を頂いた時は嬉しい反面、自分が素人な分、普段監督をされている方の編集の3倍は時間がかかるんじゃないかとか、アーティストやマネージメントの負担になるんじゃないかとか、不安が沢山ありました。 ライブのシーンは、全部で11カメ入っているんですよ。11人を仕切ることもした事がない中、自分が欲しい絵を話していきました。カメラは全て、5D Mark2とMark3を使っています。

僕が小淵沢で撮っているシーンは、5D Mark3にハッセルブラッドの50mm(1972年製)と80mm(1958年製)のオールドレンズを使っています。当時はモノクロフィルム設計なわけですが、描写がなめらかなんです。この時代のガラスレンズは重いのですが、単焦点のレンズを使い、自分が動くことで距離を詰めてコミュニケーションしています。ピアノを弾くシーンや顔のアップは、最短焦点距離で撮っています。

  •  小淵沢合宿での撮影シーンは、5D Mark3にハッセルブラッドのレンズを付けて撮影。

標準レンズなので、見え方が素直というか、映像を見ていると自分がその場にいるような感覚を持ちました。

映像を撮る際に、撮影を意識させるのはお客さん(視聴者)に失礼だし、だけど手持ちで撮らないといけない。そこで描写が素直な標準レンズ近くを使いました。 逆にライブシーンはキヤノンのズームレンズを使って、ダイナミックに撮ったり、ニュースフィルムのような編集を心がけました。

小淵沢合宿の映像は、細かく割らずに基本的に長回しですよね。一人の人から、別の人へ視線を移した際に、ピントが一瞬外れてもそのまま撮り続けています。家族や友人が撮ったような感じで、メンバーに親しみを感じました。

距離感的には「8mmを回すのが上手なお父さんが撮ったような映像」かも知れませんね(笑)。僕が勝負できるのは、今回はそこしかないですから。

バンドのメンバーがタオルを巻きながら合宿所で掃除をしているとか、煮詰まっているシーン、食事をしているシーンなど、一般的にはNGになりそうな場面も含まれています。

食事のシーンは、みんなで一緒に「いただきます」と言ってゴハンを食べたり、食器を運んだり、そういう当たり前の事をすごく気持ちよく進めていくんです。それが、僕がクラムボンの好きな所の一つでもある。こういう所も意識してお客さんに伝えたいなと思っています。 家族や仲間と食事をする人が減っている中、「音楽」のもとに集まって、みんなでゴハンを食べて、みんなで一緒に温泉に行くんですよ。寝食を共にして、一つのものを作っていく、というのが重要に感じるんです。きっとそこには大切な意味も含まれていると感じています。


クラムボンのツアーが6月から始まります。ツアーに行くファンも、このDVDを見てから行けばより楽しめるだろうし、ライブを初めて見た人が、後でこのDVDを見ても、よりこのバンドを好きになってくれると思います。 そういう彼らを知るツールとかグッズという意味合いも込めて制作しています。僕自身、ライブというか、全ての「現場」が好きなんです。芝居でも、写真の現場もそうですし。このDVDを見て、クラムボンのライブに足を運んでくれる人が増えると嬉しいですね。