なぜいま35年間を回顧するような展覧会『A Life with Camera』を開こうと考えたのですか?

自然な成り行きです。最初は写真集の話から始まりました。海外で僕の写真を紹介したいという話をいただいて、その流れから展覧会もしようということになって。本にも展覧会のプレスリリースにも集大成なんて書いてありますが、別にレトロスペクティブ(回顧展)というつもりはまったくありません。「いままでの写真は一体どうなっていたのか」、「自分は何を撮ってきたのか」ということを見たかっただけなんです。

実際に自身で見られてどう感じられましたか?

35年前の写真を見てみても、何も変わっていないなと思いました。初期の頃はけっこう変化していますが、20代半ばくらいからは考えていることや撮りたいことはそんなに変わっていない。徐々にもっともっと大きな世界、自分の知らない世界を写したいという気持ちが表れてきているとは感じますが。なのでこの先もそんなに変わらないんだろうなと思います。


Ganges, Varanasi Oct.25, 2013 © Yoshihiko Ueda / Gallery 916

身近な世界から大きな世界まで世界観が一貫していて、どの作品からも上田さんの色を感じます。「どんな目線でものを見るか」が最終的には個性につながるんだなと感じました。これだけ大きさやフレーム、シリーズがさまざまに混ざった展示だと少々乱雑になりがちですが、目線や姿勢がブレていない上田さんの作品だと、展覧会そのものが一つの作品に見えて不思議な空間でした。

ありがとうございます。初期の頃から写真とフレームの関係を大事なものと考えていて、結構楽しんでやってるんですよ。どうやって写真を閉じ込めるのか、どうやって写真に集中するのかということをフレームという道具を使って考える作業が楽しいんですよね。出来上がった写真をどのフレームに入れようかとあれこれ考える時間が好きなんです。ある意味、趣味みたいなものですね(笑)。

そのように考えるようになったのはなぜですか?

いま思うと、アヴィーング・ペンから影響を受けたのだと思います。80年代にニューヨーク近代美術館で行なわれた彼の回顧展を観たとき、いろいろなフレームに作品を入れていることに気がつきました。よく見ると真新しいフレームはほとんどなく、手垢で汚れているような古いフレームばかりだったんです。

そのとき「この人は作品が出来上がるごとにフレームに入れていってたんだな」と感じました。まとめてフレームを選んだわけではなくて、その都度、大事なものとして扱っていたのだと感じたんです。それぞれがそれぞれの顔をしている佇まいがすごくいいなと思ったことを記憶していて、自分もいつか回顧展を開くことがあったら慌てて選ぶのではなく、時代が反映された顔でいたいなと思いました。

中にはすごく小さなサイズの作品もありますね。

広告写真は今回新しく焼き直しました。みなさんの中での印象が強いぶん、小さくプリントしています。レイ・チャールズの写真も極力小さくプリントしました。


Ray Charls, New York Mar.16, 1989 © Yoshihiko Ueda / Gallery 916

かわいいサイズですね! けれどもフレームと溶け合って不思議と存在感があります。

新しくプリントした作品のフレームはニューヨークで探しました。アメリカのフレームはインディアン文化の影響を受けているので、ヨーロッパのものとは違うんです。ヨーロッパの中でもイタリアとフランスではフレームの作り方が異なります。それぞれの文化が反映されているので調べてみるとおもしろいですよ。

広告写真と自身の作品を撮られる際の意識の違いというものはありますか?

まったくないですね。たとえば広告の企画があって打ち合わせをするとします。その企画がクライアントにすでに通っていたとしても、被写体をどう撮るのかということに関しては「こうしたい」ということをちゃんと伝えたほうがいいと考えていて、当然、主旨を変えることはしないけれど、「この主旨を伝えるためにはこうしたほうがいいのではないか」ということをきちんと話しますね。常に作品を撮るときと同じ姿勢で向き合うようにしています。だから中には当初予定していた見せ方から大きく変わる場合もあります。

こういう話をすると、みなさんから「上田さんだからできるんですよ」なんていわれてしまうのですが、そんなことは全然ないです。別に自分の思い通りに変えたいわけではなくて、「この広告のためならこうしたほうが絶対にいいと思う」という信念を持って正直に話す。作品と同じポジションで真摯に話す。そうすると、みんな耳を傾けてくれると思うんですよ。

サントリー烏龍茶の広告は、自然体に見える少女の姿が印象的でした。

写真って一期一会で二度と同じことは起こりません。再現しようとも思わないですし。だから広告の写真も同じ。この展覧会ではそのことを伝えられたらなって思っているんですよ。
僕がなぜこんなことを話すかというと、そうではないと信じ込んでいる人が多いと感じるからです。そうなってしまうと広告写真はおもしろくなくなってしまう。すごく硬直した心のないものになってしまいます。そういう写真を見ると「一体誰のために撮ったの?」と思いますね。自分のものにもなってなかったら人のものになるはずもない。広告だからといって、誰かにいわれた通りに撮っていても何も響きません。広告ってものすごく影響力があるので、「そんな場で、そんな態度でいいんですか?」と思ってしまいます。最初から諦めてしまわないでほしいですね。


Wuyishan May.9, 1995© Yoshihiko Ueda / Gallery 916

現場の中でのサプライズがよい方向にいくのであれば、そうしたほうがおもしろいものに仕上がると考えられる余裕が必要ですね。

逆にいうと、作品に対してだけ「これは作品だから」という態度はおかしな話で、すべてをフラットに考えるべきです。写真でドキドキできたらいいだけなので、作品だからと偉そうな顔をしてはダメですね。全部フラットに。家族写真だって同じで、わざわざ撮るわけではなくて「おー!」と感動して撮っているだけですよね。難しいことは何もなくて、むしろ分けて考えることで難しくしてしまっているように感じます。


Hanna and Karen, Tokyo, 2000 © Yoshihiko Ueda / Gallery 916

押しつけのような感じで見てしまってはダメなんですね。

フラットな目で見て、「これ、いいじゃない」とドキドキできる写真を大切にしてほしいです。なので今回の展覧会ではささやかな抵抗として、いろんな写真をさまざまな大きさで見せているんですよ。「写真というのはこうなんじゃないのかな?」といま一度考えるきっかけになってくれたらうれしいです。

自分が設定したテーマで自分のことを縛ってしまったらもったいないですね。反対側にも世界があって「うわー!」と心が動いたら、それも撮ればいいと思うんです。世界と向き合って正直に撮ればいい。「こっちには目を開けているけど反対側には閉ざしている」ではもったいないですから。閉ざしている側に二度と出会わないいろんなことが起こっていて、静かに潜んでいるかもしれない。気づいたら撮ればいいんですよ。


Sea, Fukui Jan.27, 2013 © Yoshihiko Ueda / Gallery 916

この海の写真は、仕事で俳優の妻夫木聡さんと一緒にぶらぶらと旅をした際に撮ったものなのですが、暗くて寒くて「もう帰りましょうよ」という雰囲気の中で黙々と撮影していました。あとでこの写真を見て、「あの海がこんなふうになるなんて」とみなさん驚かれていましたね。こういうものを撮りたいと思って行ったわけではなかったのですが、心をオープンにして世界に向き合うと出会ってしまうんですよね。

他の人から見たらただの暗い海にしか見えない風景でも、ドキドキしたいと思って世界に目を向けていると出会う機会が増えていくのですね。

世界に対して求めていると見えてくると思います。僕は常に見たいと思っているし、まだまだ見たい。まだまだ撮れると思っています。見えている間はこんなふうに撮り続けていると思いますね。
最近は、自分を自由にしておく環境をできるだけ作っておきたいとますます思うようになってきました。残されている時間が後半戦に入ってきているとだんだんわかってきたので(笑)、より自由な環境になっておかないといけないなと感じています。いまはポートレートが撮りたくなってきているんですよ。

どんなポートレートを考えられているのですか?

カラーのポートレートを撮りたいと思っています。「ポルトレ」シリーズから時間があき、またポートレートを撮りたい気持ちになってきました。やっぱり多少意識しないとまとめて撮ることはできないですね。この展覧会は準備に1年半くらいかかっていて、本当に一生懸命取り組んだので、ここで一度全部忘れてポートレートに向き合いたいですね。記憶喪失になってしまおうかと思っています(笑)。


Daido Moriyama, Tokyo Jul. 21, 1999 © Yoshihiko Ueda / Gallery 916

1年半も!

実際に動き始めたのは1年くらい前ですが、写真集の話をいただいて考え始めてから1年半かかりました。「凡庸なものになってしまわないか」と、どこかで厳しい目を持って見ないといけないと思っていましたから。たとえば広告写真の中から選ぶときに、「これはみんなが知っている写真だから」とか「みんながいいといっていた写真だから」といって選ぶのは少し違うと思うんです。自分の思い入れや他の人からの意見を覚えていて選んだものは、やっぱりどこかに疑問を持ってしまうんですよ。フラットに見ると「何をいいといっていたのか」と冷静に考えることができます。写真としてフラットに見たら「これはどうなの?」と思うことがけっこうあって、4月10日のオープン直前までセレクト作業をしていました。
切り捨てる作業もあれば、逆に切り捨てたものから拾い上げる作業もしましたね。改めて見るとこれを捨ててしまっていたのかと思う写真もあって、見つけるとすごくうれしいのですが、本当に大変な作業でした。

切り捨てる作業と再発見する作業のどちらも大事なんですね。

両方ともしなかったら、「もっと違うものがあったかも」と自分の中で曖昧な部分が残ってしまったかもしれません。いまはそれがないです。いや、あるはあるんですけど、いまの段階ではこの展示がベストだろうと思っています。230点すべての写真と写真の間隔やレイアウトもすべて自分で決めたくらいですから。だからはじめは会期中に展示の入れ替えを考えていたのですが、いまはこの展示に新しく撮った写真を足していったらおもしろいかなと考えています。

最後に、これから写真家を目指す人に必要なことは何だと思いますか?

何でしょうね。僕もよくわからないですけど、ただ世界に対して誠実であることだと思います。正直に世界と向き合って、すべてを受け入れるという態度で感知できるようにしておくこと。その上で、自分の眼差しを大事にすることなのではないでしょうか。僕は「何が見たいのか」、「どういう態度で見る必要があるのか」ということを大切に考えてきたので、そういうしかないのですが。

態度というと?

選んでいるわけではなくて、選ばれているという感覚といえばいいのかな。奇跡のようなときを自覚しようとする必要があるんじゃないかなと思います。自分で選んでいると思い込んでいると、別のところでとんでもないことが起こっていることに気がつけなくなってしまいます。二度と同じことは起こらない奇跡的な場所に自分がたまたま偶然いると思ったらうれしいですよね。うれしいから全部見ようとします。写真は本当に一期一会なので、「たまたま来ちゃった」という感じでいるとすべてに対してうれしくなりますよ。

よく「個性を出しなさい」といわれることが多いですが、個性を磨くことはどういうことなのかということはあまり語られていないですね。

個性については考えなくていいんですよ。考えれば考えるほど個性はなくなってしまうと思います。世界を見て、それに反応する自分が個性なのではないでしょうか。最初に個性があって、その目で見るんだという話はナンセンスです。すごくしんどくて、どんどん先細りして行く考え方です。そうではなくて、同じ人間はいないのだから、世界に教えられることを喜びながら写真にしていけば、それを他の人が勝手に個性と呼んでくれるものなのだと思います。

写真展「A Life with Camera」

期間:2015年4月10日〜12月27日
場所:Gallery 916 東京都港区海岸1-14-24 鈴江第3ビル 6F
時間:11:00〜20:00(平日)/11:00〜18:30(土日・祝日)
休廊:月曜
下記の日程については休廊。 8月3日(月)~10日(月)8月16日(日)9月8日(火)
入場料:一般 800円/大学生・シニア(60歳以上)500円/
高校生 300円/中学生以下 無料
*2回目からの来場時に入場券の半券を持参すると入場料の割引あり
gallery916.com
上田義彦写真集「A Life with Camera」

上田義彦写真集「A Life with Camera」

著者:上田義彦
序文:ハンス・ウルリッヒ・オブリスト
編集: 菅付雅信、上田義彦、中島英樹
装丁: 中島英樹
発売:羽鳥書店
発売日:2015年4月下旬
価格:19,440円(*展覧会場では特別価格18,000円で販売)