NYへ向かうきっかけ

「NYへ移住してほしい」と、現在のエージェントからオファーがきたのが5年前。「『ルーザーズ アーカイブ 200BEST』に掲載された作品を見て連絡している」との事でした(これはカナリヤの徳田さんがオランダ在住の際に、『ルーザーズ アーカイブ』から日本の写真家を1名推薦して欲しいとの依頼に、私の名を挙げていただいたと聞いています)。

「NYに移住?」まったく想像もつきませんでした。ハイファッションやビューティーを撮影する写真家は、海外進出する理由があると思っていますが、私はスチルライフ専門で、東京の仕事も充実していたので、移住してまでNYで活動することに魅力を感じていなかったのです。

私の意向をもとに東京ベースのままエージェントと契約が進み、翌月から多くのプロジェクトが発生しました。当時すでに10年以上、渋谷の自社スタジオで、マイペースに撮影してきた私は、「LA or NY、どちらで撮影したいですか?」の質問に対し「Tokyoです」と答えていましたが、その要望はなぜか却下されます。

理由は「新商品を郵送できない」「クライアント、代理店のトラベルはアメリカ国内およびヨーロッパのみ」だからです。いくつかのプロジェクトは東京で実現しましたが、この時点で私の人生は大きな変化を必要としたのだと思います。

「東京の自社スタジオでなければ撮影できない? 何故?」との質問がエージェント、クライアントから浴びせられ続けます。 使い慣れた機材、アシスタント、リラックスできる環境、自由に使える時間、理由を挙げればいくらでもあるのです。

そんなある日、NY Times 『T Magazine』誌からのカバーストーリーの依頼は、「あなたが必要な条件を私たちがすべて準備したら、NYでの撮影は可能ですか?」というものでした。 6ショットの撮影に、4日間のNY MILKスタジオ開放、日本からアシスタント3名同行、AIR、HOTEL等の条件に対しての返答は「YES!」。

「私たちの要望は、『あなたがこのテーマをどのように解釈して解決するのか』を見たいのです」でした。NY Timesの1枚の写真に対する情熱や習慣を目のあたりにし、NYの写真業界に引き込まれていきました。 その1年後、私はNYに自社スタジオを設立しました。それは同時に、ベースをNYに移すという決断でした。

  •  NY SOHOエリアににある青木さんのスタジオ。15名ほどの立会いができる。
    複数の撮影を同時進行出来るように、常に×2ライテングのセットアップが可能。

 
NYベース

NYらしい数多の人種が1つの都市で絡み合い、混ざり合い、コミュニケートしている様は、極端にドメスティックな私にはとても刺激的です。日本ベースと最も違うのは、違う国籍の方々とのコミュケーションにおいて、"お互いの異なった文化や習慣を尊重するインテリジェンスに磨きがかかっている"ということ。逆に言えば、違う習慣や文化に対しては、スポーツのように一定のルールを設けて曖昧性をなくす必要が生じます。

NYでは、口約束でプロジェクトを行なうのは不十分なのです。契約という形を用いて「クリエイティブ料金や経費などは、プロジェクトが始まる前に確実に承認されなければ、進めてはならない」というのが徹底されています。 同様に著作に関する規定が定められているために、特に写真家の撮影した写真に対しての著作の認識は共有されています。エディトリアルに関しても著作は販売されないので、永久に写真家が著作権を所有していることは、私もアメリカで初めて知りました。

時に雑誌発売から1週間は、「他のメディアにはその写真を使用しないでもらえたら助かる」という、人情的でお互いの信頼関係から成り立つ要素も存在します。雑誌で撮影された写真の異なる雑誌媒体への転用については、写真家本人に連絡が来て、出版社には連絡は行かないようです。誌面に自分のクレジットが掲載される意味、つまり「私の写真作品である」という認識と責任は高まります。

  •  V Magazine

 
スピード

日本で生まれ育った私には受け身の文化が宿っています。人間同士を気遣う、繊細で優しさを伴う誇らしい精神です。しかしこれはNYでのコミュニケーションにおいて裏目にでる可能性が高いように感じます。「相手は私にどうして欲しいのだろう?」(NEED)と受け身のコミュニケーションを続けていると、能力がないと思われてしまうでしょう。

もちろん異例はありますが、案件が依頼された直後に、「僕はこうしたい」(WANT)と明快な理由も含めて提案できなければ、依頼はすぐに消えてしまうかもしれません。逆に依頼に対して実現不可能であれば、直ちにプロジェクトを断わらなければならない事も、プロフェッショナルの条件であると考えるようになりました。

学んだ事はスピードです。エージェントは、依頼に対して3分以内に反応をして依頼者とキャッチボールを始めます。時には1日中、iPhoneのイヤホンを耳に付けっぱなしです。1時間ほどでプロセスを想定して、3時間後には見積もりが先方に届き、クライアントは比較検討を始めます。何しろ速いのです。 「ひと晩考えさせてください」の余韻がなくなったのは残念ですが、『聞いてない』『想定してなかった』等々、いかなる場面でも通用しません。 予測する事、そして常に変化していく対象や問題に即対応する能力が必要とされる事。最も違う点であり、最も学ぶべき事であると考えます。

 
『TIME』誌 cover撮影

『TIME』のフォトディレクターのKira Pollackからの連絡。 「明日書店にならぶ『TIME』のカバーを撮影して欲しい」。先日のボストンマラソンのテロに関するイメージで、『犯人を捕らえるのに決定的要因だった「指紋」と「セキュリティカメラ」を撮影したい』と。

時間は10時間もありませんし、撮影する被写体も無い!  スタジオの機材は他のクライアント用にセットアップされている。それでも私は引き受けました。瞬く間にスタイリストが指紋の採り方を警察から聞き出し、セキュリティカメラを手配します。イメージはテロを超えて、「アメリカ=あなたは常に監視されている」です。

15テイクの写真を、〆切りギリギリに提出しました。13テイク目が編集会議で選ばれ、18:00に印刷所に向かう予定です。カバーのグラフィックも素晴らしい。明日は書店で実物を見ようと、充実感に満たされていました。

6時15分、「they are not running the time cover」と書かれたメールがエージェントから入りました。 別の班で制作したイメージが、いま印刷所に向かっているという事です。「ボツ???」 私は悔しさを通り越し発狂寸前です。雄叫びを押し殺し、冷静を装ってエージェントに連絡しました。おそらく僕よりも露出を楽しみにしていたのはエージェントのMichael Ashです。

数少ない気遣いのある返答の本質はこう語っていたのだと思います。「あなたのイメージは負けたのです」。いくつかの写真の中から1枚を選ぶとき、彼らは"choose"とは言わず、"win"という言葉を使い、全員の意見が一致して選ばれた1枚を"hero shot"と呼ぶ習慣があるのですから。

翌日書店に「セキュリティーカメラを抱えた自由の女神」が並んでいました。もし自分が編集長でも、比較をしたらこの自由の女神のイメージを選んだと思う。 「美しいだけではダメだ!」。 視覚伝達のスピードを磨くことが、今後の課題として明快になった。より伝わるイメージを提出できなければ『TIME』誌には採用されません。

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グローバル?

優秀な写真家やアートディレクター、エディターは世界中にいます。中でも日本のCD、ADは優秀だと思う。そしてよく働く。今回3年ぶりに東京でのワールドワイド規模の撮影があり、電通の権田氏とご一緒したのですが、社会的責任に加えて、視覚伝達の定義や美術を非常に高いレベルで実現している。このような人物に自社の重要な広告を預けられるクライアントは幸せだと思う。

10数人のスタッフと打ち合わせをしましたが、全員が日本人でネイティブの言葉で語り合う事ができる調和。この環境に、私は忘れかけていた喜びが沸き上がりました。NYで生活していて、時々寂しくなるのはこの事だと思う。
「YES」と「NO」だけで解決する合理性に対して、その間に「グラデーション」を見出せる繊細な精神を持っている私たちは、日本人である事に誇りを持てると再認識しています。
グローバルであるという本質は、パーソナリティーなのです。小さな個性は大きく広がる可能性があるという事だと。
求められている事は常に、他の誰でもない。『あなたにしか出来ない事』なのです。